力士の肩の骨を粉砕

ただし、実際の彼についても賞賛一辺倒か、というと、よく調べてみるとどうも違うようです。

『古今著聞集』という鎌倉中期の京都の下級官人がまとめた説話集に、畠山庄司二郎、すなわち重忠が出てきます。

これによると、力士の長居という者が鎌倉にやって来て、散々に自分の力量を自慢した。源頼朝はこしゃくに思って、やっつけろ、と重忠に目配せする。

重忠は分かっていて、動かない。自分はれっきとした武士だ。大力は命がけの戦場でこそ発揮するもので、これ見よがしに披露する芸ではありません、と言いたかったんじゃないかな。プライドの問題ですね。プロの歌手の方に、ちょっとカラオケで歌ってみてくれ、というようなものでしょう。

それで痺れを切らした頼朝は「二郎、立ち会ってみよ」と声に出して命令した。重忠は渋々立ち上がって、長居と組み合った。それで、手と手をがっちり握り合うや、そのままぐいっと締め上げ、とうとう長居の肩の骨を粉砕してしまった。それで頼朝に挨拶もせず、スタスタ退場した、というのです。

そこまでするか、という感じで描写も陰惨。ドラマの重忠のような爽やかさはほとんど感じられません。

それからみなさんも教科書などで一度は目にしている、『男衾三郎絵詞』という作品。これは鎌倉時代後期には成立していて、武蔵国を代表する武士である男衾三郎が自らの武芸を自慢するだけでなく、庶民をいじめ、美少女の姪をいじめる話です。

”男衾”という地名は重忠の館のすぐ近く。武蔵有数の武士という点からも、三郎のモデルは重忠なんじゃないか。

ちなみに美少女の父の風流な武士、駿河で横死する三郎の兄、吉見二郎のモデルは梶原景時では? というのがぼくの見立てです。