「父親絶対」の時代
ぼくは北条時政・義時の親子の争いが関係していると思う。
当時は「父親絶対」の時代でした。システムとか役職を超えて、父親は偉い。
だから皇位を退いても上皇が実権を手放さない。もう少し後になると、豊臣秀吉は関白を辞任しても太閤殿下ですし、徳川家康は将軍職を秀忠に譲っても、大御所として天下人です。
一般の武士の場合、父親の切り札は「悔い返し権」です。財産の分与をする際、現在ならば、どの子も(原則は)等しく遺産相続に預かれる。生前分与を受けた分は、もちろん親に返す必要などありません。
ところが中世は違うのです。どの子に相続させるかは親に一任される。かりに一度譲ってしまった財産も、親の気分一つで取り戻す権利が認められていた。これが親の「悔い返し」の権利で、幕府の憲法である『御成敗式目』でも認められています。
そうすると、どうなるか。子どもたちは財産の配分に預かるために、親が死ぬまで、孝行に励むことを強要されるのです。
親に逆らったら、遺産は分けてもらえない。与えられた分も奪い返されてしまう。それで親は偉かった。