なぜ『吾妻鏡』は重忠を丁寧に描いたのか

つまり、鎌倉時代に成立している作品では、重忠は善玉とは限らない。ついでに、景時も悪役とは限らない。

けれど室町時代に『義経記』が義経をヒーローとして描くために景時を「告げ口」野郎といったネガティブな位置づけを与えたように、重忠は善玉になった。

『曽我物語』も新しい版になると、曾我兄弟の第一の理解者、敵討ちの支援者として重忠を持ち上げまくっています。古い版には、それはないんですね。

これはおそらく、『吾妻鏡』の“重忠推し”が影響しているんだと思います。

幕府の歴史書である『吾妻鏡』が重忠をすばらしい武士として描いた。お墨付きを与えた。だから複数の物語は、話を劇的にするために、これに追随したのでしょう。

『吾妻鏡』は御家人一人一人のエピソードを拾いません。あくまで歴史書であって、物語ではありませんので、人物像を掘り下げることはない。

でも重忠は例外です。

同僚に戦功を譲った話、和田義盛を立てる話、部下の罪を着せられて弁解しなかった話、武士としてのプライドを重んじ頼朝に感銘を与えた話。そういうことが丁寧に描いてある。これはなぜか。