人間の煩悩の数である108まで生きるつもり

私はお金は生かすためにあると考えます。一生懸命働いて得たお金を、自分の人生を快適にするために使う、これが生かすということ。貯め込んだって、お墓には持っていけません。

私は、才能があるのに経済的に恵まれない音楽家を支援するイブラ音楽財団の活動を、32年前から行っています。個人の慎ましやかな財団ですから、大がかりなことはできませんが、それでもイブラの活動で誰かが羽ばたいていけるよう、少しでも多くの人がクラシック音楽に親しんでもらえるよう続けていきたい。私がいなくなった後のことも考えて、若いスタッフを教育中です。次の代へ縁をつないでいく。これもまた私の「終活」のひとつ。

来月中に、個人的にウクライナに入り、両親を失った子どもたちのお見舞いに行く予定です。2年前にはミャンマーのロヒンギャ難民キャンプにも行きました。現地へ行ったところで、私にできることは多くないけれど、こうやってお金を生かすことが、何かを動かすかもしれない。子孫にお金を遺そうとするのも終活なら、社会でよりよく使おうとするのも終活なのですから。

人生100年時代と言いますが、私は人間の煩悩の数である108まで生きるつもりなの(笑)。ありがたいことに体が丈夫ということもあって、弱っていく自分は想像しにくい。まあ、それでも今の調子でピンシャンとして動けるのは、あと10年くらいでしょうね。

その間にしたいのは、娘や孫も含めて次の世代に、自分の経験を伝えていくこと。戦後の貧しさを経験した幼年時代、政変にあってフランスに亡命し、社交界デビューしたこと。こんな経験をした人は、ほかにはいらっしゃらないわよね。だから伝えられるうちに伝えておきたいのです。

そして、人生の最後の10年くらいは、娘や孫と一緒に住んで、のんびり暮らせたらいいなあ、と思うんですよ。