「シェルターに入居できたのは支援者のおかげです。彼女たちとのめぐり逢いも、最初は細い糸でした。」(撮影:大河内禎)

以前の私は、重い機材を担いであちこち取材に飛び回れるほど元気でした。でもこのころは眠れず、食べられず、体重は35キロまで落ち、まっすぐ歩くことさえ困難でした。

報道で事件を知った実家の母親は錯乱状態になりました。ほかの家族は別の知り方や感じ方をして、家族の中でも温度差が……。結局、家族はバラバラになり、全員が顔を揃える機会は10年以上、ありませんでした。私だけが被害者ではなく、家族全員がそれぞれ大変な思いをしていたことは、後から聞いて知ったのです。

もっとも体調が悪かった時に2回、私は暴力に遭った女性のためのシェルターにお世話になりました。施設は天井が高く、日差しがたっぷり入る作りで、到着した初日はホッとしたのを覚えています。カウンセラーやソーシャルワーカーもついて、悩みを受け止めてもらえる。そういう場所に入れたのは、幸運なことでした。

シェルターに入居できたのは支援者のおかげです。彼女たちとのめぐり逢いも、最初は細い糸でした。

セクハラ被害者の裁判支援などをしている女性団体や人権団体の方々が、守秘義務を守りながら、さまざまな形で支えてくれたのです。日本社会のあちこちで彼女たちやそのネットワークが機能し、連携して被害者を助けている。

そういう援助に繋がれるかどうかが明暗を分けます。加えて、彼女たちの動きから私は、暴力に遭った女性の救済は積年の課題なのだと感じました。