本誌の取材に匿名で応じる原告の記者(撮影:大河内禎)
2022年5月30日、ある性暴力被害に関する判決が下った。2007年に長崎市の原爆被爆対策部長(当時)から取材中に暴行を受けた女性記者が、長崎市に対し損害賠償などを求めていた裁判だ。結果は原告のほぼ全面勝訴。長崎市は控訴を断念し、7月13日に田上富久市長が被害者へ直接謝罪を行った。被害に遭った記者が19年に長崎地裁へ提訴してから3年。事件からは実に15年が経っていた。(構成=古川美穂 撮影=大河内禎)

自分の体がもぎ取られていく

2007年7月、長崎平和祈念式典の取材中だった報道機関の女性記者が、長崎市の原爆被爆対策部長から夜間に呼び出されて性暴力を受けた。直後から記者は体調を崩し、9月から休職する。

その2ヵ月後、市の聞き取り調査を受けた加害部長が自殺。これに関し別の市幹部が記者に責任転嫁するデマを流すなど二次被害が起き、記者は病状をさらに悪くして入退院を繰り返す。08年に第三者委員会設置を要求するも、市は拒否した。

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自分の身に起きたことは性暴力だとすぐ理解しました。けれどいったいどこに助けを求めたらいいのか。友人に打ち明けると、「妊娠の疑いだけでなく、性感染症の心配もあるから、医者に行ったほうがいいよ」と言われて初めて、「ああ、こういう場合は病院に行くのか」と気がついたぐらいです。

当初つらかったのは、事件後も仕事で加害者と会わなければいけなかったこと。私がダメージを負っているのに、向こうが平気な顔をしているのを見るのはこたえました。

その後、勤務先に被害を報告すると、会社は急いで私を長崎から異動させました。しかし加害者からはまだメールや電話が来るのです。私は電話であんなに抗議したのに……。言外の脅しか、ご機嫌伺いかはわかりませんが、加害者の反省していない態度を見せつけられるたびに、私は動揺しました。