性暴力は人間の尊厳を奪う犯罪なのだとつくづく思います。そして踏みにじられた尊厳は取り戻す必要があります。

やがて私は、いろいろなことに少しずつ挑戦していきました。朝起きて夜眠る。お風呂にちゃんと入る。服を着替える。少しでもいいから外出してみる。駅でサラリーマンを眺める。男性が近くに来てもむやみに逃げない。些細なことですが、そういうことの積み重ねで、奪われた人間性を取り戻していきました。

精神安定剤などの薬も少しずつ減らしました。事件から10年超でようやくすべての薬をやめることができた時は、体が軽くなったようでした。

もうひとつ取り戻したかったのは、職業的意味です。記者の取材が妨害されるということは、重要な情報が社会に出なくなるということです。長崎市幹部が流した「記者と部長はプライベートな関係だった」なんてはずはなく、国民の知る権利の源にある記者という仕事を、誤解なく社会に伝えなければ、という思いもありました。

私の場合は提訴まで12年かかりました。性犯罪では、「本当に被害に遭ったのならすぐに行動に出るはず」という懐疑の声が上がりますが、被害者の中で流れる時間の感覚は、社会の時間とは違うのです。

被害者はずっと彷徨っている。心身に復調の兆しがあり、周囲の支援や助言を受けて自分の意志をしっかり固めることができたら、その時初めて自分の権利回復のために動き出せる。それは誰に止められるものでも、恥じるものでもありません。

とはいえ、裁判を起こすなど、社会的な行動だけに価値があると思う必要はありません。大事なのはまず生き延びること。自分の命と安全を守ることです。