私の事件を知り、「被害者は自分だったかもしれない」「公権力による記者への暴力は、報道の自由や市民の知る権利の侵害だ」と感じた報道現場で働く女性がたくさんいました。そうした動きが全国的にあったのです。
一般に、性被害に遭った女性は体調を崩し、周囲に相談すら難しいまま社会的に孤立して、心身ともにダメージを受けます。勇気を出して警察に行っても、被害届さえ受理されないことも。そんなさまざまな「関門」があるので、黙って学校や職場を去る人が多いのが現実です。
でも私は会社に留まり、加害者側と裁判で争う道を選びました。それは、報道界に残って問題を指摘しないとこの現状を変えることができないからです。働く女性が被害に遭ったとき、打ち明けると職場にいられないのはおかしい。そうではなくて、女性の置かれた社会的環境のここに問題があると示し、改善していくことを、私は目指したいのです。
被害者は自分の生活や事件後の人生を守りながら闘ってもいい。そういうやり方もできるのだと示せたのは、私にとっても収穫でした。
判決後、長崎市はセクハラ防止研修の対象を全職員に広げ、二次被害防止も含む内容に変えるようです。でも、女性が差別や暴力の心配をせずに働ける社会の実現には、まだたくさんの壁があります。
私自身もすごく時間がかかり、回り道しました。けれど自分が性犯罪被害に遭って初めて、情報の少なさや支援のありがたさを知りました。
だから私は自分の身に起きたことを、すべて否定的にとらえたくはありません。むしろ私の経験やサバイバルしてきたことが、形を変えて誰かの役に立てばと願っています。