長崎市の担当者(左)に要請書を手渡す支援者ら(2022年5月31日)(写真提供:読売新聞社)

事件後の人生を守りながら闘っていい

判決まで時間がかかりましたが、今はホッとしています。この裁判は個人間の争いではなく、「国家賠償法請求訴訟」(公務員による不法行為で損害を受けた人が国や地方自治体の賠償責任を問う訴訟)でした。

性暴力の事件で国賠訴訟を起こすことも、それに勝つことも珍しいのですが、組織の長が敗訴判決を受け入れ、被害者に対面謝罪をするのはさらに珍しい。裁判で勝訴した結果にとどまらず、その後の決着の付き方も、被害者の回復には大事なことです。そこまで持っていけたのは、意味のあることだと思います。

判決では、長崎市部長のしたことが性暴力で、それが職務に関連して起きたと認められました。さらに、二次被害を防止する責任が行政側にあったとも判決文に盛り込まれ、ほぼ期待通りの結果を得ることができました。

この裁判の特徴は、たくさんの支援者に支えられ、社会運動として進められたことです。これまで性暴力やセクハラは、被害者が広く社会に訴えるためには自分をさらけ出し、被害内容もらかにすることも強いられてきました。しかしそれでは、二次被害を含め、被害者にかかるリスクが大きすぎます。

今回、私は自分の名前や所属社などを伏せて訴訟を行い、取材を受けています。それが可能だったのは、法廷の内外で弁護団や労働組合が私を守るべく動いてくれたからです。

これまで、報道に携わる多くの女性たちが性被害に遭ってきました。それには力関係が影響しています。

報道界は根強い男性社会です。そんななかで、記者は男女の関係なく「夜討ち朝駆け」という取材をしています。取材対象から「話をする」と呼ばれれば、夜でも駆けつけます。私が遭遇した被害も、そうした状況下で起きたものでした。