助けを求めるのって何重にも難しい

取材を受けると、「困っている子どもがいたら何かしたいと思う大人も多いと思いますが、どうしたらいいですか?」ということを聞かれることも多い。
確かに、極貧だった子どもの頃、助けを求めていたら、何か違っていたのかな?と思うこともなくはない。

助けを求めるのって何重にも難しい。
私は父の母に対する暴力で息をするのさえ苦しい日々でも、制服や参考書などが買えず、部活もさせてもらえない状況でも、誰かに助けを求めたことなんてなかった。
必死で「普通」の子に擬態した。
「問題のある子」と思われるのが、本当にこわかった。
助けを求めるという選択肢さえ見えなかったのだと思う。

自身の苦しい体験を赤裸々に綴った初の著書『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

「経済的弱者」は「情報弱者」であることが多い。
そして支援制度の情報は、必要としている人に届きにくい。
「ほ~ら、とれるもんならとってみなよ」
そうやって、書類をヒラヒラさせながら、あざ笑うかのように、見え隠れする。

必要な情報とは擬人化するとそんな感じだ。
編集者さんが、知り合いの富裕層の人は無料イベントの情報などをとても上手に拾ってくると言っていたけれど、そういう面は少なからずあると思う。

安全圏にいる人が、
「もっとこうすればいいでしょう?」「こういう制度もあるのに、なんでそうしないの」
そうやって責めたりするのは(善意のアドバイスの場合もあるけれど)やはり残酷だ。