「自覚すること」からすべては始まる

以前取材した経済学の大学教授の方は、取材中、「まあ僕は、恵まれているので」と白い歯を見せてサラっと言った。それがとても印象的だった。
「自分の立場に自覚的である大人」が、あまりに稀有な存在だったのだと思う。

その方は経済学の研究者であるため、貧困や世代間連鎖などについての数値を調べつくしていて、自分の立場を非常に俯瞰している。個人の努力の範疇を超えたところで、いかに人生が左右されるのか、それを知る人は他者への優しさがある。他者の立場への想像力がある。それをその方から教えられた。

ライターになった初期の頃、とある編集者に、「ヒオカさんは貧困界のエリート女子だと思うんですけど」と言われたことがある。

その時は、現在進行形で劣悪シェアハウスに住まざるをえず、体調を崩しまくっていて、めっちゃ苦しいのになんでそんな言い方するの?と正直思った。

でも、冷静に考えれば、極貧だったけど大学を卒業出来て、書く場を与えられている。それは間違いなく、私の優位性だった。
今ならそれがよくわかるのだ。

それに無自覚だったら、「貧困でも大学に行ける!」とか、「弱者も書く仕事で苦労をメシの種にすればいい」とか言う生存バイアス人間になっていたかもしれない。(たぶんそこまでひどいことはどっちみち言わないけれど)

自分の優位性が、努力以上に運によるものだという自覚が芽生えたとき、やはり社会を見る目は変わった。「本当は大学に行きたかったけれど行けなかった」、そういう声の質感みたいなものの感じ方が変わってきたのだ。

最近も、日本という国に生きている人の中にも、戦争などで流れ着いて、でも難民認定してもらえず家を借りることや医療にかかることすらもできない人たちがいることを改めて知り、自分の無知さに打ちのめされた。

自分が当たり前に享受している権利を、持てない人たちが世の中にはいる。自分の想像の範疇を超えた困難に置かれた人たちがいる。
そんな視点を忘れないでいたいと思うのだ。

「自覚すること」からすべては始まる。
そんなことを最近思う。

 (写真提供◎写真AC)

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『死にそうだけど生きてます』刊行記念
「ヒオカ×アルテイシア 貧困・毒親・ジェンダーしゃべり場」

2022年 10月27日(木)19時スタート
場所:梅田ラテラル(配信あり)