自分のアドバンテージを自覚することも難しい

困難な状況にある人が自分の状況を「自覚」することが難しいのと同様、裕福な人が自分のアドバンテージを自覚するのも本当に難しいことなのだと、痛くそれを実感する。
例えば、私立の一貫校を卒業し、エスカレーター式に有名大学に入り、大手企業に就職する。

そういう人の周りには、あらゆる水準で同じような人ばかりがいる。
恵まれた人は、よく「自分なんてぜんぜん」と言う。でもそれは、その「周囲の人」に比べて、という意味であって、社会全体では、という話ではない。

気持ちいいほど芳醇なお金持ちエピソードを聞かされたあと、「自分はぜんぜん裕福じゃなくて」と言われた時、私の目はピンポン玉のように丸くなるのだけれど、当の本人は本気でそう思っているのだ。
そして、今まで関わってきたナチュラルネイティブ強者たちは、大抵悪意はない。

でも、そんなネイティブ強者が悪意を持った時の殺傷能力を私は知っている。
「稼げないのは自分のせい」
「税金で養われている」
「優遇された弱者」

そんな言葉がことあるごとに、ネットの海を覆う。
自分の優位性への無知が、弱者への攻撃性と直結するかと言えばそうではないと思う。
ただ、自分の特権への無自覚さは、時に他者への暴力性へと変貌することがある。
そんな場面を、幾度となく見てきた。

自分の特権に無自覚だと、自分の立場が、自分の努力の結果であると思い込んでしまう。
逆に弱者は、努力が足りないからその立場に甘んじているのだ、というジャッジに帰結してしまう。

特権への無自覚さは、世代間の連鎖や、生まれながらのアドバンテージ/ディスアドバンテージへの無知と地続きでもある。
自分の優位性、特権を自覚することで、他者への視点は確実に変わる。

(写真提供◎写真AC)