なぜ「地下鉄道」と名づけられたのか

では、なぜそう名づけられたのか? アメリカン・ルーツ・ミュージックの研究家・東理みち夫がその理由をコンパクトにまとめている。

『黒人音楽史――奇想の宇宙』(著:後藤護/中央公論新社)

1831年、ケンタッキー州から自由州(フリー・ステート)のオハイオへ逃げたタイス・デイヴィッツを追った奴隷主が、彼の行方を捜しあぐね「まるで地下の迷路にもぐりこんだようだ」と語ったという。

その言葉を、奴隷解放論のウィリアム・コックラム大佐が「実に多くの奴隷たちが自由の地へと逃げていった……それを奴隷主たちは、オハイオ州の下を走る北へ向かう地下の鉄道があるに違いないと語った」と記したことから、後世に「地下鉄道」という名が伝えられるようになった(3)。

さらに逃亡奴隷を「乗客」(Passenger)、逃亡の計画を把握している「駅長」(Station Master)、逃亡中の隠れ家となる「駅」(Station)、「駅」に到着した「乗客」に衣服や食料を提供する「駅員」(StationStaff)、またお金を集める「基金係」(Fund Raiser)、米国紙幣の肖像になることも決まったハリエット・タブマンが担った「乗客」を安全に引率する「車掌」(Conductor)といった具合に役割分担され、隠語で表現された。

そしてこの地下鉄道の情報が、黒人霊歌には「暗号」として埋め込まれているのだ。