落ち着く寝室のベッドカバーも自身が編んだもの

軍人さんは父の心遣いに感激したのでしょう。後日、父はディナーに招待され、ステーキやアイスクリームをごちそうになったよと、私たちに話してくれました。それからも軍人さんはたびたびうちに遊びに来て。アメリカに帰国するとき、お別れに私たちは羽子板をプレゼントしました。

父の姿には学びましたね。戦争で息子を殺されたのに、敵国の人に優しくできるなんて。人間対人間だと心の通ったいい関係が築けるんです。なのに国対国だと戦ってしまう。戦争はもう二度とイヤ、絶対ダメです。

大家族で育ったので、自活したいという気持ちが強かった私は、高校卒業後はタイプライターの免状を取って大阪の叔父の会社で働きました。ですが家庭の事情で長崎の実家に戻り、地元の会社に就職して出会ったのが夫です。

慣れない経理の仕事で「すみません、数字が合いません」と私が頭を下げると、タタタッと素早く計算してくれる、頼りがいのある上司でした。9歳上で、亡くなった前妻との間に10歳の娘がいました。

私は人柄の温かさに惹かれて結婚を決意しましたが、うちの親族は猛反対。私も諦めかけていたとき、3番目の姉が彼を見て「この人なら大丈夫」と親族を説得してくれて、結婚できました。