「幼い頃は、編み物をする母の横にちょこんと座っているおとなしい子でした。」(撮影:小山志麻)
築55年の団地で一人暮らしをする様子をユーチューブで配信し、人気となっている多良美智子さん。大家族に生まれ、戦争などの苦労も乗り越えてきた。つねに好奇心旺盛、趣味も充実の日々、これから望むこととは(構成=村瀬素子 撮影=小山志麻)

<前編よりつづく

戦後、父が背中で教えてくれたこと

私のこうした海外への興味や好奇心の強さは、長崎で生まれ育ったことが影響しているかもしれません。8人きょうだいの7番目。幼い頃は、編み物をする母の横にちょこんと座っているおとなしい子でした。自然に編み物に興味を持ち、残り糸で紐を編んだりしていましたね。

長崎に原爆が落ちた日のことは忘れられません。家は市内にありましたが、10歳の私は山を越えたところに疎開していたので難を逃れました。市内にいた姉たちはリュックに荷物を詰めて、命からがら逃げてきて。なんとか家族全員無事で会うことができたのです。ただ、一番上の兄は召集され、戦死しました。

戦中戦後は食べるものもなく、いつもお腹をすかしていて。そういう経験をしたから食べ物を粗末にせず、野菜の切れ端も使い切る。また、ものを大事にし、今あるものでなんとかしようという知恵が身についています。

戦後、長崎には進駐軍が駐留。冬のある日、家の玄関の前でアメリカの軍人さんが立ったままお昼ご飯を食べていました。雪が降っていたので、私の父が、言葉も通じないのに「寒いから中で食べなさい」と家に招き、椅子を出して軍人さんを座らせてあげたのです。