39歳、瀬戸内晴美の頃に行ったルポタージュで、和裁を習う様子。『婦人公論昭和37年4月臨時増刊号』より(写真:本社写真部)

「たたり」は心の影への脅え

私は「たたり」ということを信じません。

先祖の霊とは、仏になったものです。仏は決して、人を苦しめたり、復讐したりはしません。仏とは人の幸せを祈り守ってくれてこそ仏なのです。神の場合も同じでしょう。

昔から、たたりとか悪霊のしわざとかいうことが伝えられているのは、人間が自分のおかした過ちに、自ら脅えて、その罪におののく心の見る幻影だと思います。怨霊しずめのために、殺した人を神にまつるということも、わが国の歴史の中には珍しいことではありません。

自分の心の影に脅えているにすぎないのです。先祖のたたりなどいうことに耳をかたむけないで下さい。先祖の霊をまつるのはいいことです。それは自分の存在について考える時、数えきれない先祖の血と肉と才能と資質を受け伝えられていることを認めないわけにはいかないでしょう。そのことに対して感謝するのが当然です。

決して自分の力だけで自分の現在があるわけではないのです。そこに科学だけではわりきれない生命の不可思議と神秘があります。宗教とは、人間が数字や理屈で説明しきれないものを、この世に見出した時に感じる畏怖の念からも生れるものです。

努力してもしてもわが力のたりないと思う時、人は、ひざまずき、天を仰ぎ、あるいは大地に身を投じて、何かに声をあげて祈りたくなります。そこに宗教が生れます。自分の存在の不思議に思いをひそめ、運命の威力におびえる時、人はこの上なく謙虚にならざるを得ません。

あるかないかわからないあの世の不安も、恐しい死の瞬間も、いくら思いわずらっても自分の力では解決しようのない問題を、見えない力にゆだねきって、そこを乗り越え、あると信じて、未知の次なる世へと渡って行こうと思うのです。