仏教が一番、自分に合っていた

自分のことでいえば、私は自分の限界を感じた時、自分が「生かされている」ことに感動し、自分の力だけを信じて生きてきた50年の過去が空しくなり、超越的なものの存在を信じるようになったのです。

私の場合、キリスト教にも近づきましたが、私の育った環境や、私の資質の問題もあったのでしょう。仏教が一番、自分にぴったり合うように思ったのです。仏教の中にも、様々な流派がありますが、私の場合は偶然、天台宗に御縁が生じて、天台宗の仏徒として得度させてもらいました。

私はたまたま、髪も剃り、尼僧となりましたが、仏教には在家得度という形もあり、髪もそのまま、生活もそのままで、得度することが出来ます。

これはキリスト教の洗礼のようなもので、キリスト教で洗礼を受けると、クリスチャンネームをもらうように、仏教では法名をいただきます。私の戸籍名は瀬戸内晴美ですが、法名は寂聴となったようなものです。この法名がそのまま、死ねば戒名となってお墓に彫りこまれるのです。

仏教では得度して、仏に自分のすべてをゆだねることを帰依(きえ)するといいます。仏を信じ自分をすっかりおまかせしてしまうことです。三帰依といって、仏、法、僧の三つに帰依することを誓うのです。

『増補版-笑って生ききる-寂聴流悔いのない人生のコツ』(著:瀬戸内寂聴/中公新書ラクレ)