「女人入眼の日本国」

兼子の権勢はたいしたもので、和歌の名手・藤原定家は「兼子さまと親しくしたいが、縁が無い我が身を嘆く」と記しています。

まさにこの「縁」がキーワード。

当時の朝廷の大ボスは上皇ですが、貴族が上皇に近づきたければ「仕事で認められる」か「縁があって親近」の二つしかない。

丹後局も兼子も、「縁」があって後白河上皇・後鳥羽上皇という絶対的な存在に接近できた。その時点での能力の高さを発揮し、縁によるチャンスをしっかりモノにして権勢を手に入れた。そう解釈すべきでしょう。

承久の乱前の日本は、東国では北条政子が実権を握り、都では藤原兼子が様々な分野で活躍していました。それで、ドラマでは山寺宏一さん演じる高僧の慈円は「女人入眼の日本国」と『愚管抄』に記しています。

女性が決定権を有する日本であることよ、という風に訳するといいのかな。慈円は藤原本家、九条家の人なので、この表現には批判も込められているわけです。