仏のあり方

中脇 「我々一般の者が〈自分が仏である〉という認識を持つことは具体的にはどういうことなのですか?」

倉島 「永平寺で修行中に禅師様というトップの方が104歳でいらっしゃったのですが、その禅師様が皆さんによくお話されていたのが〈朝3分でも5分でもいいから仏壇にお線香1本まっすぐ立てなさい〉と。〈まっすぐお線香を立てて仏様と自分の鼻筋がぴっと揃うようにして、姿勢を正して1日を始めてくださいね〉というお話をされておりました。私はこれはすごい教えだと思うのです。〈私は仏ではない。私はそんなふさわしくない〉ということではなくて、仏と鏡写しで自分も姿勢を作って、お線香をちゃんとまっすぐ立てるという行為をコツコツコツコツと続けていく。そのコツコツと愚直に続けていくというその習慣がやがて仏を形成していく。自覚するしないは関係なく、その資質があるなしに関わらず、その価値観がこうなった、ああなったではなくて、コインには裏と表がありますが、どっちが表とか裏とかではなくて、仏とピタッと合わさった状態を作っておく、つまり、仏として行動していくという、そういう考えがすごい教えだと思ったのです」

中脇 「すごく分かりやすいお話でしたけれど、それで我々一般人も、例えば〈仏である〉という意識で坐禅をするとして、その仏というのはどういう状態をいうのでしょうか? 例えば我々は良くないことを思ってしまったりするわけですよね(笑)。なかなか仏を自覚できないように思います」

倉島 「おっしゃる通りです。一口に仏になると言っても、私たちはいわゆる欲望に負けたりしますよね。欲望が全くなくなって、すごくいい人になる、というと軽いですけど、これが非常に今の時代は難しいですね。
やはり良い指導者・先生を見つけることが大切なことだと思います。道元禅師も〈ちゃんとした先生に会えないなら修行などしないほうが良い〉と仰っています。つまり〈自分で勝手に坐禅したり、自分なりのトレーニングを好きなようにやっていても難しいよ。まずは良い先生を見つけなさい〉と。これ音楽の世界も一緒ですよね。何も習わずに自分で音楽をはじめて、才能が開花する事はなかなかないと思うのです。ちゃんとした師匠がいたり、導いてくれる人のもとで、自分のテクニックを構築していくからこそできる。花開くというのか、才能を引き出してもらったりとか。仏教の世界においては仏になるべき船の漕ぎ方を教えてもらわないと、勝手なことばっかりでもやっぱり目的地のとこには行かないというのは、昔から言われていることです」

中脇 「一般の人がそれを知ろうと思ったら、先ず、良い指導者・先生につくことが大切だという事ですね」

倉島 「そうですね。いい先生を探すことをすることは大切なアクションだと思います。例えば坐禅会もいろいろなところでやっていますし、YouTubeでも情報は探せます。インターネットでもWeb坐禅をやっていたりします。そういったところからでも〈この人が自分の先生だな〉っていうような出会いを見つけていただければ良いと思います。昔から雲の水と書く〈雲水〉という修行僧は、各所を回って良い先生を探す旅をしていました」

紅葉も美しい四天王寺の庭

中脇 「そういうことなんですね。我々一般人は、例えば坐禅会とかに、それがリアルでもWebでも参加していく中で〈この人に自分の先生になって欲しいな〉そう思える方を見つけて師事していくことで、仏のあり方みたいなものを学んでいけるという事ですね」

倉島 「おっしゃる通りです」

中脇 「人それぞれの相性もありますよね」

倉島 「実際そうなんです。相性はありますので、嫌だなと思う人のもとではやらないほうがいいですよ(笑)」

中脇 「そうですね(笑)。今回〈禅脳〉というプロジェクトに協力させていただいたのですが、やはりそういう意味では、住職はお寺に行くというきっかけを作りたいということなのですね」

倉島 「はい。先ず、いきなり坐禅というとやっぱり、足が痛いとか、背中を棒で叩かれるのでは、とかですね、何かネガティブな印象を持たれる方も多いと思います。昔は社員研修などで新人を鍛える、みたいな意味合いもあったかと思います。しかし時代が変わってきましたし、精神性を高める上においての本格的な坐禅を始めるきっかけとして、この〈禅脳〉を一度トライして頂きたいと思っております」