薬の副作用に耐え、孫との時間を過ごす

68歳の夫の闘病が始まった。シスプラチンという抗がん剤を24時間、点滴で投与する。最初は元気だったが顔が赤らみ食欲減退。7ヵ月間続けると髪は抜け落ち、手足に痺れと痛みが残った。同じ薬は使い続けられず、効果もなくなってくるらしい。「がんになったのが俺でよかったよ」と夫。返す言葉もない。

医師のパソコン画面に、影の消えたきれいな食道の画像が映ったときは、ホッと安堵。次の薬はCTIの内服薬で副作用もほとんどなく、3週間ごとに医師に報告するだけ。ところが前回の薬の副作用がひどく、手足の痺れと痛み、むくみが続き、杖がないと歩けない。食欲はあるが箸も持てない。爪もはがれた。

楽しみにしていた、小1の孫を連れての北海道・旭山動物園への家族旅行。前日まで子どもたちは「無理しないで」と心配してくれたが決行した。雪のなか、孫に手を引かれた夫は頑張ってよく歩いた。

CTIはよく効いてくれたが、その治療も7ヵ月ほどで終わり、オプジーボの治験を勧められ承諾。「胃がんに効果があり、大いに期待しています」という主治医の言葉にすがり、化学療法も試す。

ただ、初回の薬のつらい副作用が続くため、主治医が緩和ケアの受診を勧めてくれた。緩和ケアの医師は、仏様のような寛大なお顔で、何を聞いても答えてくださる。夫は筋肉をつける方法や運動の仕方を聞いていた。うつむきがちだった心が次第に上向きになって、夫と明るい気分で帰宅したのを覚えている。

夫の死は避けられないと受けとめ、遺影や葬儀のことも考えた。そんなとき、私の心は真っ暗だ。通院した日、点滴室でベッドに横たわる夫のそばに、ナースが現れ、「緩和の先生から、『僕が行けないとき様子を見てきて』と言われて」とのこと。とてもありがたく、最期までここでお世話になろうと夫と話す。

治験はあまり効果がなく、検査の結果、再入院。肝臓の胆汁が分泌されず、黄疸が出現しバイパス手術をすることになる。内視鏡手術なのでメスより負担が少なくてよかった。