私は両親の死に目にあっていない。間に合わなかったのだ。人が死にゆく姿を見たのは、小学4年生のときの祖母の死に際だけだ。呼吸が遅くなり、肩で息をしていた祖母。まもなく死ぬんだと子ども心に感じられた。その呼吸と同じ呼吸を、翌朝、夫がしていた。
いよいよお別れのときが来た。私がしっかりせねば。子どもたちが集まり、訪問ドクターとナースも来てくれた。夫は痛みから解放され、遠いところへ旅立った。本当に雑な介護でごめんね。いい妻でなくてごめんね。結婚してくれて、家族を作ってくれてありがとう。今までお父さんに頼ってばかりだったけど、少しは自立するね。
息を引き取った瞬間、遺体となる。私たちは遺族となり、写真は遺影となる。火葬された遺体は遺骨という物体と化す。まだまだ一緒に生きていきたかったが、奇跡は起きなかった。夫の最期の言葉は、「はい、もう寝ましょう」だった。
夫は71年の人生に幕を引いた。家から夫の匂いが消えていく。気配すらなくなり、二度と会うことも話すこともない。それでもしつこく、空から見守ってくれているはず、と都合よく考える。自分一人のごはん、一人の洗濯物……なんと味気ないことか。おいしくない。楽しくない。心から笑えない。こんな生活、いつまで続ければいいのだろう。
在宅になって2階の布団で寝ていたときのこと。夫が、「お母さん、これ見て! 血じゃない?」と珍しく私を起こす。びっくりして飛び起きると、枕元の白いタオルが赤く染まっている。しかし、よくよく見たら、赤い色で印刷された温泉ホテルの名前だった。2人で久しぶりに大笑い。このタオルは思い出としてとっておこう。「もっとお母さんと旅行に行きたかったな」と夫。「いっぱい連れていってもらったから、もう十分だよ」と私。
仲良し夫婦だったね。出会ってから45年、ありがとう。つらい、苦しい、悲しい、寂しい、そして恋しい。ネガティブな形容詞の羅列のなかで、私はこれからも夫に恋し続ける。