自分の描いた作品に頓着しなくなってしまった理由

言い訳をすれば、私が充足を得られるのは制作のプロセスであり、出来上がったものから達成感を得ることは滅多にない。

締め切りがあれば仕方がないので無理に〈完成〉と見なすが、たいてい納得はできていない。だから達成感を得られないのである。だからと言って、自分の漫画原稿を保管している場所まで思い出せない杜撰さはいかがなものかと思う。

これも言い訳になるが、私の母は娘の作品をちっとも褒めない人だった。画家になりたい意向を告げた進路指導の教師から、飢え死にしたいのかと言われて落ち込む14歳の私を、ひとりきりで欧州旅行に行かせたり、高校を途中で辞めさせ、イタリアの美術学校へ送り出したりするほど、私が絵の道に進むことを推奨していながら、私の作品にはまったくと言っていいくらい良い評価を下さない。

誰かが私の作品を褒めるようなことがあれば、「下手くそよ、ダメよ、こんなの」などと一片の慮りもない言葉を口にして苦笑いをする。私が自分の描いた作品に頓着しなくなってしまったのには、そうした彼女の態度の影響も少なからずあるような気もするが、別にそれを根に持っているわけではない。

なにせヴィオラ奏者である母は、自分の技術に対しても「私って下手くそよねえ、やんなっちゃう」という人だった。表現に対して求めているクオリティが高すぎなのだ。