京都には近づかないほうが良かった

実際の実朝の暗殺劇では、 公暁という人が実行犯だった。彼の背後に誰がいたのかというと、いろんな説がある。しかし僕は要するに「実朝退場は、鎌倉御家人社会の総意だった」のだと思います。

みんなが「あんなリーダーは要らない」と感じていた。だから実朝が死んだあと、公暁一人を殺してしまえば話は終わり。幕府も、公暁の背後に誰がいたのかというような、野暮な捜索はまったくしない。みんなで「いなくなってよかった」で終わりにしてしまった。

頼朝の場合は、鎌倉で武士の政権を発足させた後も、たった2回しか京都に行っていない(『源頼朝公上洛之図』広重/伊勢兼、国立国会図書館デジタルコレクション

 

では逆説的に「どうすれば殺されなかったか」と考えると、父の頼朝の場合は、鎌倉で武士の政権を発足させた後も、たった2回しか京都に行っていない。やはり、京都に近づかないということが非常に重要だったし、実際に頼朝はそれを、しっかりと守っていたのです。