地元と中央、どっちを優先するか
地元を優先するか、中央との関係を保とうとするか。これで政策が分かれるケースは、結構あります。
頼朝の場合は、地元第一主義を取る上総広常を排除してしまった。そのことを他ならぬ後白河上皇との会談の際に話したという記録が残っている。これは逆説的に、彼がそれほど関東のことをすごく大事にしていたということなのでしょう。
そのひとつの現れとして、北条政子と権力者になった後も別れていないことが挙げられそうです。頼朝にしてみれば、成功して日本有数のVIPになったわけですから、権力者の常として、どんな女性をも京都の朝廷から呼び寄せることも可能だった。
しかし頼朝はそれをせず、関東の田舎出身の北条政子を非常に大事にする。
そこには、未来のない流人の身の彼を慕ってくれた政子さんに対する私人としての気持ちもあったでしょう。しかしなにより政治家として、「自分は関東に根を下ろして生きていくのだ」という姿勢を内外に表明する意義もあったのだと思います。