老年には欠落する機能を別のもので補完することが必要になってくる

高齢一般は、トイレに行くにも、顔を洗うにも、その動作のすべてが「何でもない」とは言えなくなってくる。

『新装・改訂 六十歳からの人生』著:曽野綾子/興陽館

お風呂に入ることも危険になる。ことに旅に出て、普段使い馴れない浴室を使う時には細心の注意が要る。私のように途上国の汚いホテルに泊まり、薄暗い上に、不備極まりない、装置の故障だらけの浴室を使わなければならない者にとっては、浴室は危険だらけの場所である。

床が滑る。浴槽の高さが、自宅の風呂と比べて高すぎる。突然熱湯が吹き出る。変なところに(使用者から見れば不必要な)段差がある。

そうしたことを事前に見極めれば、かなり用心深くはなるが、こうした配慮が要るということが年を取ることの煩わしさというものだ。

つまり老年には、次々に欠落する機能を、別のもので補完するという操作が必要になってくるのである。だからほんとうはアタマがボケても仕方がないなどと言ってはいられない時期なのだ。