あくまで「鎌倉殿」が基本

性悪説を唱えたことで有名な中国の思想家・荀況の著書『荀子』に、「君は舟、臣は水」という言葉があります。『平家物語』はこれを引用し、「君は舟、臣は水。水よく舟を浮かべ、水よく舟を覆す」と説明します。つまりは家臣あっての主人、ということです。

将軍も同じ。鎌倉時代の初期の将軍とは、官職としての征夷大将軍ではなく、「鎌倉殿」でした。

では「御家人たちの主人である鎌倉殿」という実態をどう朝廷の官職として位置づけるか? その答えとして源頼朝が選択したのが「征夷大将軍」だったのです。

あくまで「鎌倉殿」が基本。「征夷大将軍」=「将軍」はその変化型。

ですから頼朝は「征夷大将軍」を数年で辞めてしまったし、二代の頼家も「征夷大将軍」という官職に任じる三年前から、頼朝の後継者である「鎌倉殿」でした。

つまりこの大河ドラマのタイトルでもある『鎌倉殿の13人』、この13人を代表とする御家人たちが「将軍」を決めていたのです。