「政子こそ忠誠を捧げるべき主人であり、将軍」
ならば、政子が「御家人たちの忠節の対象となる存在として立つ」と決意を固めたのならば、それは十分に「鎌倉殿」と認められるし、すなわち「将軍」である、と解釈しても良いのではないでしょうか。
そこに男女の性差は関係ありません。いや、女性の天皇がいるのですから、女性の将軍がいたとしても、何らおかしいことはありません。
御成敗式目七条は「源頼朝・頼家・実朝の源氏三代及び北条政子の時期に御家人に与えられた領地は、その権利を奪われることはない」と規定しています。
御家人にとっての生命線、土地の所有権について、政子の決定は源氏三代将軍と等しくたいへんに重い、改めて裁判で審理する必要なし、というのです。
これを見れば、政子の地位を将軍と呼ぶにふさわしいことが裏付けられます。
実朝を失い、承久の乱を迎えるあの時期、御家人たちは「政子こそ忠誠を捧げるべき主人であり、将軍」とはっきり認識していたのです。