小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る武士たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(総合、日曜午後8時ほか)。11月27日の放送回では、鶴岡八幡宮で源実朝の右大臣拝賀式が盛大に執り行われる一方、公暁は門弟と共に木の陰に潜んでいた。泰時が警固をする中、式を終えて楼門から出てきた実朝を公卿と源仲章が迎えて整列すると、牡丹雪が降り積もる中で……といった内容が展開しました。
一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第16回は「なぜ北条義時は自ら将軍にならなかったのか」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
将軍・実朝の死
前回、ついに将軍・源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺されました。
一報を受けた京都では、後鳥羽上皇を中心として、本当に皇子を鎌倉に送るかどうかで紛糾。鎌倉は鎌倉で、皇子をこのまま迎えて将軍の地位についてもらうかどうか、あらためて議論を交わし、北条義時が難色を示しながら新たな策を練っていました。
なお、史実としてどうだったかと言えば、後鳥羽上皇が「私の可愛い皇子を、実朝を殺害したような物騒なところに派遣できるか」と六条宮雅成親王、そして冷泉宮頼仁親王(候補はお二人いました)の東下にストップをかけます。そのため皇子が将軍の地位に、という話は破談となってしまいました。
今回はそんな「将軍」について考えてみたいと思います。