なぜ義時は自ら将軍にならなかったのか

さて、ここで疑問を感じた読者の方がいるかもしれません。なぜ北条義時は自ら将軍にならなかったのでしょうか?

ドラマをここまで見ていれば、北条家や鎌倉の繁栄だけを願い、京都とは距離を取りたがっている義時なのだから、自分が将軍になってしまえば万事解決、などと感じて当然かも。

それを踏まえてぼくの考えをお伝えすれば、まだこの段階では鎌倉幕府の権力がそこまで安定しているものではないので、義時が将軍に、というのはムリかな。

でも、もう少し後、北条氏の体制が盤石になったときならどうか。どうして北条氏は将軍にならなかったのか? ぼくはそれを30年くらい、ずーっと考えてきました。

朝廷が認めない? いや、それはなさそうなんですよね。承久の乱後に幕府と朝廷の力関係は、シンプルにいうと逆転しました。皇位の継承すら、北条氏の許可があって、はじめて可能だったほどです。

承久の乱の後、幕府は仲恭天皇という幼帝を無理やり皇位から降ろしました。幕府の武力は、皇位の否定を可能にしたのです。