源氏将軍が三代で滅びたその後

やむなく幕府は、皇子ほど高貴ではないものの、貴族ではトップの藤原本家(当時は近衛家と九条家が並立していた)から三寅くんという貴種を鎌倉に招いて四代目の鎌倉殿にしました。

公暁によって暗殺される実朝。次の将軍の座を巡って鎌倉・京都は大いに揺れることに『東鑑拝賀巻』(著:福地桜痴(源一郎)、博文館。国立国会図書館デジタルコレクション

日本史を苦手とする人などだと、源氏将軍が三代で滅びた後に「鎌倉幕府から将軍がいなくなった」と認識している方が少なからずいそうですが…もちろんそうではなりません。

三寅くんが四代将軍で元服して藤原頼経、頼経の子の頼嗣五代将軍。六代将軍は後嵯峨上皇の皇子で宗尊親王、七代は宗尊親王の子で惟康親王。八代は後深草上皇の皇子で久明親王、最後の九代は久明親王の子で守邦親王に。

一~三代が源氏将軍、四・五代は藤原将軍(摂家将軍とも)、六~九代は親王将軍と呼びます。