『吾妻鏡』には二つの系統が存在する

この『吾妻鏡』、大きく分けて、二つの系統があります。一つは「北条本」。もう一つは「吉川本」。

この二つ、書いてある内容にそれほどの差異があるわけではない。「北条本」では戦死している御家人が「吉川本」では生き残っている、なんてことはありません。まして承久の乱の勝敗が入れ替わっている、なんてことは全くもってないのです。

「北条本」では「肥後二郎」と記してあるのに「吉川本」だと「肥後三郎」になってる、というくらいの微妙な違いですかね。ああ、これを「微妙」ととるか、「こんなに違うんだ」ととるかで、研究者の性質は分かれますか。

国史大系、という史料集があります。日本史を研究する上での基礎史料となる古典籍を集成し、校訂を加えて刊行した叢書です。

明治30年(1897年)から明治34年(1901年)に『日本書紀』などの17冊が刊行。続編が明治35年(1902年)から明治37年(1904年)に15冊が刊行。田口卯吉が編集し、黒板勝美が主に校訂にあたりました。

『吾妻鏡』は続編の方の一つで、このときに「北条本」の方が底本として採択されました。それで、大学で『吾妻鏡』を読むときは、学生さんはみんな「北条本」を読むことになります。

なお、黒板勝美という先生は、東京帝国大学文学部の教授。史料編纂所の所長も勤めています。

政財界のえらい人とも広く交流し、有名料亭で食事をしたあとで色紙なんかにサラサラサラッと一筆したためればお勘定はタダになったという、いわば大物です。もっぱらコンビニご飯のぼくなんかとは、同じ歴史を研究しているといっても格が違う。

この方の縁戚にあたる(たしか甥でいらっしゃるのかな)黒板伸夫先生(故人)も歴史学舎で、大河ドラマ「草燃える」の原作を書かれた永井路子先生とご夫婦です。