穏やかだったり、反抗したり、複雑な高齢者の心
父が認知症とわかってから、私もほかの家族も、父をできるだけ肯定するように心がけている。そうするうちに、父は変わってきた気がする。
以前は、父が繰り返し同じことを言うと、私は2、3度堪えるのが精いっぱいで、つい言ってしまっていた。
「何度も同じこと言わないで!」
でも今は、違う返事をしている。
「そうなんだね」
意味は同じだが、父にとっては、後者の表現なら自分の言っていることが肯定されている気がするらしい。たったこれだけの配慮をするだけなのに、結構忍耐が必要だ。時々面倒になってしまう。
私が口先だけで「そうなんだね」と相槌を打つと、父は敏感にそれを察することがある。そして急に不機嫌になって私に言う。
「俺はおまえの父親だ! 真面目に聞け」
受け流せばいいのに、つい私も言い返してしまう。
「はい、そうですね。自分の親だと思っているから、甲斐甲斐しく世話を焼いているんでしょ! 他人なら世話しないよ」
「俺は頼んでいない。嫌ならもう来なくていい」
数年前から、しょっちゅうこのようなバトルがあったから、早めに切り上げるのが得策だと知っている。私は台所に戻り、料理をして気を紛らわせた。
夕飯を食べ始める頃には、父は先ほどのバトルを忘れてしまっていて、何事もなかったように、箸を動かす。
その晩、寝る前に飲む薬を父に渡し、コートを着て帰ろうとすると、父が私に言った。
「ありがとう。いつもすまないな」
私は父の手の上に、軽く自分の手を重ねた。
「うん。また明日ね」
私の顔を窺う父の表情が、少し寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
誰もがいずれ年を取り、身の回りのことを人にやってもらわなければならなくなる。そして、口にする言葉が限られてくる。
「ありがとう」「すみません」「お願いします」
家族だけでなく、介護や看護の人に頭を下げるばかりの日が、私にも近い将来訪れる。父の感情のアップダウンは、自分でできることが段々なくなっていくことの切なさと、焦燥感からきているように思えた。