写真提供◎AC
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第29回は「推しに〈生きる意味〉を教えてもらった」です。

「推し」を「推し」だと認識出来るようになった

この連載の以前の記事で、私のデビュー作の出版記念イベントに来てくれた友人とのエピソードを書いた。その友人とは、私が転職活動で惨敗し、「あなたに市場価値はない」と言われ、生活も困窮しボロボロだった時に出会った。

連載「肩書きや経歴で人を判断しない、利害で付き合ったり切り捨てたりしない人たちに生かされてきた。私もそうありたい」はこちら

そんな友人は、「あなたは出会った時も書き手になった今も変わってないよ」と言ってくれた。

「あの時から、野心が見えてた。かっこよかったよ」と。

この話には続きがある。

友人は、言った。
「でも、推しについて語ってるのだけは、唯一前と変わったことかも」と。

また、もう一人の知人にも同じことを言われた。
「出会った時は、推しについてなんて全く何も話さなかったよね。今はすごい話すようになったけど」

そう、私は確かに本当に少し前まで、「推し」がいる人に距離を感じていた側だった。
そんなに好きになれる対象がいていいなぁ。でも、自分には縁遠い。
ずっとそう思ってきた。

でも、昨年から、「推し」について記事を書くようになった。
イベントで推しについて話すと、参加者から「めちゃくちゃ幸せそうでした」と感想がくるぐらい、めちゃくちゃ熱く語るようにもなった。
私が推しについてビビられるくらい熱く語るまでになったのは、2年前から始めた1人暮らしがきっかけだ。

それまでは、格安シェアハウスを転々としていたのだが、今までコラムで散々書いてきたとおり、かなり過酷な生活だった。
何度も体調を崩したし、入院もした。
生き抜くことで精一杯だった。

もちろん、その頃も好きなアーティストや芸人さんはいたし、ギリギリの生活の中で心の支えになった曲との思い出はもちろん宝物。
でも、身の危険を感じるような綱渡りの生活では、ゆっくり鑑賞する精神的余裕や余白がなかった。

住人が暴れたり、雨漏りしたりしない住居がある今、また違った味わいを噛みしめている。
生活が変わって、落ち着いて動画を見ることができるようになり、深く考えられるようになったからなのだと思う。

「好き」の輪郭が現れ、くっきりした感じ。
ぼんやり好きだなあ、と思っていた人たちが、「推しだ!」と気づいた。
「推し」を「推し」だと認識出来るようになったのだ。
あくまで私の経験上の話ではあるが、「推し」について考えるにも、ある程度生活の基盤が必要なのだ、と振り返って強く感じる。