16歳でデビューしたバンドは4年で解散。そこからノーギャラライブや15年にわたるアルバイト生活を経て、今頂点に立つ、アニソン界のパイオニア・影山ヒロノブさん。かつて静かに座って手拍子をする「イベント」だったアニソンライブが、拳を突き上げ熱狂する「ロック」になった時代の変化を綴ります。その影山さんいわく、昨年12月に亡くなられたアニキ・水木一郎さんとの初めての出会いでは、いきなり叱責されてしまったそうで――。
かつてのアニソンライブはアニメファンのための「イベント」だった
時代の変化を受け、特に大きく変わったものの一つに、ライブやコンサートがあります。かつてはアニメイベントの添え物的なポジションにあったアニソンですが、今世紀に入ってライブの主役の座に立ったのです。
振り返れば、俺が生まれて初めて出演したアニソンのコンサートは、雑誌「アニメージュ」が主催した「アニメージュ・フェスティバル」でした。確か「電撃戦隊チェンジマン」や「夢光年」を発表した後だったように思います。
このコンサートは、歌手と声優が共演し、紅白歌合戦のようなスタイルでした。男性側と女性側それぞれに、フルバンドがついて、歌手はステージ上に設えられた回り階段を下りてきて歌うというなかなか華やかなステージです。
出演者も、男性は全員タキシードのような正装で、女性もイブニングドレスの裾をサーッと引いているような、今のアニソンのライブとはだいぶ雰囲気の違う、きらびやかなものでした。
しかしロッカーだった俺は、そんな場だとは露ほども知らず、そこにジーパンにジージャンという姿で乗りこんでしまいました。まわりを見て「ヤバイ」と思ったけれど、後の祭り。他の人が歌っている時は皆、ステージの袖で応援するのですが、俺は明らかに浮いているから、隅の方でおとなしくしていたのを覚えています。