自分の文体や構成も時代から外れてきているのをヒシヒシと感じて

話変わって、仕事の資料で九〇年代のエッセイ、漫画や小説の文庫解説を数冊読んでいて気付いたことがある。文体が恐ろしく似通っていて、いまの感覚だと古いのだ。

エッセイや解説の文体には時代の空気がもろに反映される。九〇年代の、特に女の書くものにはハッキリと特徴があった。過剰におきゃん、庶民的なのに高飛車で、しらけているようで情緒に振り回され気まぐれでもある。

「女の子って我がままで自由なの」という時代のト書きが透けて見えるよう。ト書きを書いたのは女ではないだろう。思い通りにならぬ女という男の願望を、女が気を利かせてなぞっているように読めた。

他人事ではない。ここ一年、自分の文体や構成も時代から外れてきているのをヒシヒシと感じている。自虐は好まれていたが、いまは時代が弱くなり、そうはいかない。私の文章にも、早急に「お直し」が必要なのだろう。

整形と違い、韓国に名医がいるわけもない。誰かと似た文章になったら、商売あがったりでもある。よって、コツコツと自分でミリ単位の調整を続けるしか手はない。埋め込めば文章が吊り上がる、魔法の糸は存在しない。あったら迷いなく脳に何本も埋めるけれど。

個性という縦軸と、時代という横軸から伸びた線が交差する地点から見える景色を描くのが私の仕事だ。ざっくり言えば、自分らしく、いまっぽく。バレないように、少しずつ変えていかなければ。こりゃ、整形を隠すのよりずっと難しいではないか。


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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇