「ありのままで生きていく」「なにものかになった」矛盾する2つの価値観は若者にとって当たり前の価値観なのだろう(提供:photoAC)

“情報過多”な現代の若者

こうした「ありのまま」と「なにもの」の間に、キャリア観の無数のグラデーションがある。さて、それではその仕事やキャリアの実際はどうだろうか。

インタビューから見えてきたのは、多くの若者が、ひとつの決まった解答が存在しないこのグラデーションの中で、自分の最適解を見つけるために"情報過多"に陥っているのではないか、という仮説であった。

情報が大量にタダで獲得できる世の中で、キャリアや仕事、ワークスタイル、ライフスタイルに関する情報が肥大化している。このことが、職業生活上のアクションを起こすことの足枷になっている、ということはないだろうか。

例えば現代の若者にとって「あるある」な状況を想像してみよう。大手企業に入った20代後半の若手社会人がいる。優秀な大学を卒業しており、同期の繋がりなど様々なコミュニティも持ち情報のアンテナは高い。

ある日ふとチェックしたSNSで、大学時代の友人が起業し、数億円の資金調達をした話がシェアされていた。この若者はこのニュースを見てどう思うだろう。おそらくこの"情報"を見て、起業に向けたアクションなどの行動に繋がる例は稀ではないか。それどころか、「自分も起業に一歩踏み出そう」と思うケースすら稀かもしれない。

多くの場合では、「いいね」を押してそっとSNSを閉じるだろう。そこで生じる感情は率直に言えば、焦り、不安、無力感、さらには嫉妬である。

また、こうしたケースもある。必要性を感じて社会人大学院に通おうとする。しかし、ネットで情報を収集していたところ、意味がないという意見の文章や「コスパが悪い」といったネガティブな評判を複数見ることとなり、思い直して通うことを止めてしまった……。

行動を起こした個人を揶や揄ゆするような、「※※した人の末路」といったネット記事はいくらでも存在している(例えば「就職せずに起業した若者の末路」などの論調が存在する。現代社会は、何かをすることに対してネガティブな情報を取得することも容易である)。