1980年頃、父・西村仙吉さん(左)と(写真提供◎木場さん)

「あれ? 俺、売れ始めたのかな?」

その櫻社、蜷川幸雄さんとの出会いが第一の転機となるのか。

――まぁ、そうですね。俳優としてのプロフィールもキャリアもない、養成所を出たばっかりの僕に、「じゃあ出て」と。見る目があるなぁ、と思って(笑)。僕は23歳だったけど、積極的でしたね。

でも唐さん書き下ろしの『盲導犬』は二本目で、旗揚げ公演は清水邦夫さんの『ぼくらが非情の大河をくだる時』だった。「台詞はないよ」って言われて、ブレヒト3時間の主役をやったばかりなのに!? と思ったけど、出ましたね。公園の公衆トイレに夜な夜な集まるゲイの役で。(笑)

で、二本目がその『盲導犬』で、今度は大きい役が来た。もともとその役だった人が蜷川さんにだいぶやられて、降板されちゃったんで、代役。ずっとあとで再演した時もその役をやりましたね。

そして次がまた清水邦夫さんで、『泣かないのか?泣かないのか一九七三年のために?』。ところがこのあと突然、櫻社は解散となるんです。蜷川さんが日生劇場で『ロミオとジュリエット』を演出するから、ということでした。ここで大揉めに揉めましたけど。このあたりが第一の転機でしょうね。