1979年、劇団斜光社・解散公演『Z』(竹内純一郎作、和田史朗演出)。奥にいるのが木場さん(写真提供◎木場さん)

映画監督を目指して、その勉強をするために俳優学校に?

――映画業界はもうその頃、傾いていて、助監督の募集などはまったくない時代でした。俳優学校に行けば正業につかないで生きる方法が見つかるかと思って、青山杉作記念俳優養成所に入った。

演技はいろんな俳優さんが教えに来てくれたんですが――ここだけの話、下手だな、俺でもできるかな? と思っちゃった。(笑)

卒業したのは1972年。俳優学校で教わっていたドイツ文学者の岩淵達治さんから、「ブレヒトの芝居を主役でやらないか」って誘われて。そりゃ、やりますよね。ブレヒトの処女戯曲『バール』っていうのを改装前の俳優座劇場でやりました。本邦初演です。

でも、ずっとブレヒトの芝居をやるという気があんまり起きなくて。その頃、蜷川幸雄さんが櫻社を立ち上げて、唐十郎さんの新作をやるっていう噂が入ってきたんですよ。僕は唐さんのファンだったんで、すぐ会いに行きました、蜷川さんに。ツテもないのに。