上の世代と決別し、同世代の劇作家・竹内純一郎(現・銃一郎)と劇団斜光社(75~79年)を、そしてその後、秘法零番館(80~89年)を結成。

その頃テレビの『銭形平次』にがらっ八こと八五郎役で出演し、脚光を浴びる。私はその後の『桜の園』、『きらめく星座』、『リア王』あたりから木場さんの存在を知った。

――がらっ八は87年、秘法の時代で、平次親分を演じたのは風間杜夫さんでした。これでやっと、まともに生活できるようになって。劇団を作ってからの十数年は怒濤の日々でしたけど、僕は解散前に抜けちゃった。

その時、39歳だったんですが、気づいたら劇団の最年長になっていたんです。僕は自分より上の世代と芝居がしたいのに、下の人間としか芝居ができなくなっていた。それで劇団を抜けて、一年間はテレビドラマの仕事をしていました。

でもこれもね、刑事ドラマの刑事AやBの役を毎日……。こんなことやってたら役者としてダメになるなと思って、また舞台に戻ったんです。

その頃、劇団主宰ではない「プロデュース公演」というのがちょうど増えた時代で。それに乗っかって、『桜の園』や、こまつ座の『きらめく星座』への出演が決まりました。

『桜の園』はオーディションで商人ロパーヒンに選ばれちゃって。これ、ジャイルス・ブロック演出でしたけど、そしたら同じジャイルスの演出で、『リア王』の道化の役が来たんですよ。「あれ?俺、売れ始めたのかな?」と錯覚しちゃうくらいだった。

そしたら元松竹の門井均プロデューサーから話があって、それがTPT(シアタープロジェクト・東京)の演出家デヴィッド・ルヴォーとの出会いにつながる。これが第二の転機ですね。

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