今も昔も変わらないこと

世の中が変わり、新喜劇も変わってはきました。でも、その中でも逆に一つも変わってないところもあると思うんです。

「一生懸命頑張って、自分のやるべきことをやる。そうしたら、チャンスはまわってくる」。ここはね、今も昔も変わらないところだと僕は思います。努力、ま、そんな言葉にしてしまうときれいごとになってしまいますけど、何と言うのか「負けてたまるか!」という根性でやるべきことをやる。そうしたら、道は拓けるもんやと。

実際、僕でいうと、ターニングポイントになったのが(間)寛平ちゃんとガッチリ組んでやるようになった時やと思っています。寛平ちゃんと二人で、これまでにないくらいお客さんに喜んでもらえた。ただ、それが来たのは僕が40歳を過ぎた頃でした。

そもそも、僕は会社勤めをしてからお笑いの世界に入ったので人よりスタートが遅いんです。漫才コンビ「海原かける・めぐる」のめぐるとして活動をして、30歳過ぎでコンビを解散。そこから新喜劇に入るんですけど、最初は背が小さいこともあって、ほとんどセリフのない子役ばっかりでした。

あと、今とは時代も違うしね、漫才から新喜劇に入ってきた者に対して、なんとも言えない《外様》感がありました。よそ者というか。正直、3日に1回くらいは「もう、辞めようかな」という思いが頭に浮かんでもいました。

ただ、それでも芝居が好きやし、新喜劇が好きやし、辞めることはなかった。そして「どうしたらお客さんに笑ってもらえるか」。それだけはずっと考えてました。ここだけは今に至るまでずっと続いている思いでもあるんですけど。

今と違って「M-1グランプリ」とか「R-1グランプリ」みたいに、そこで勝ったら何もかも変わるみたいなシステムもなかった。なので、「『M-1』をとるため」みたいな明確な目標があったわけではないけど、とにかくお客さんに喜んでもらいたい。その思いだけで、毎日あれやこれや考えてました。

そうしてたら、だいぶ時間はかかりましたけど、寛平ちゃんとの流れが生まれた。そこからは「新喜劇しかない」と心から思えるようになりました。やるべきことをやってたら、チャンスはめぐってくる。僕にとっては本当にその通りだったんです。

舞台で唯一無二の存在感を示す池乃めだかさん(写真提供◎吉本興業)