問題を透明化する言葉

そんな現実に蓋をするかのように、「こういう価値観が流行っているんです」「そういう選択肢も素敵ですよね」という切り取り方の記事が増えていることに、不気味さを感じずにはいられない。

写真提供◎AC

健康で文化的な最低限度の生活をしたいと思うのはそもそも贅沢ではない。
上を見ればきりがないから、自分の置かれた状況で幸せを見つけるのが賢い、なんて意見もよく見る。確かに隣の芝生は青く見えるし、他人と比較し続けることでは満足は得られないのかもしれない。

でも、そもそも一人暮らしで普通の生活を送るのに必要最低限の収入が足りないのはどう考えても健全ではない。お金があれば幸せとは限らないが、最低限のお金がなければ幸せ云々なんて段階にまずいかない。
手取り15万円やそれ以下で、たとえやり過ごせても貯金や文化的な生活には手が届かないだろう。

身の丈にあった幸せを見つけろ、貧しくても足りることを覚えよ、という一見まともらしい言葉に騙されてはいけない。そういいながらやつらは最低限以下の生活を正当化し、なぜ低賃金で多くの人が働かざるをえないのかという問題を透明化するのである。

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