社会は鈍感になりすぎている

実はこういうこと、振袖以外にもいろんな場面で見る現象だ。
例えば、お金が無くて塾に行きたいけど行けない、という人に、
「塾に行かなくても難関大に行った人はいるよ」と言ったり。
大学に行きたい、という人に「高卒で働くことだって、立派な選択肢だよ」と言ったり。

そんなんで慰められるわけがないだろう、と思う。
そういう、貧困ゆえに“選べない”という不条理を丸無視して、それができなくてもいいよ、それも素敵だよね、なんて言ってしまうことのおかしさとグロさ。
貧困ゆえに選択肢がないことを“受け入れろ”と暗に言っているようなものだ。

写真提供◎AC

生い立ちによって選択肢が限られることに、この社会は鈍感になりすぎていると思う。
それがおかしいと言えば、たちまち、「贅沢だ」「わがままをいうな」「仕方ない」と非難される。
でもおかしなものはおかしい。
誰だって望めばある程度の機会は得られる社会の方がいいにきまっている。

振袖の話に戻ると、やはりお金がなくて、本当は着たいけど着られないという人に、「振袖を着なくてもいい雰囲気作りが」「スーツもいいよね」なんていうのはあまりに残酷だと思う。
スーツがどうこうではない。