「今は、2人を見て育って、人生のいい先達だったなという感謝の気持ちが強いです」(撮影:大河内禎)
昨年の2月1日に石原慎太郎さんが逝去されて1年。5つの人生を生きた石原慎太郎さんの知られざる素顔に迫った『波風を立てる男、石原慎太郎~没後1年 その生き様が日本人に問いかけること~』(フジテレビ)が2023年2月4日(土)16:30から放送予定です。4人の息子が語る“父との最期の日々”とは――。今回は『婦人公論』2022年5月号掲載、人生で一番衝撃的な春だったと振り返る石原良純さんのインタビュー記事を再配信します。

******
朝の情報番組『羽鳥慎一モーニングショー』や『ザワつく!金曜日』などバラエティー番組で、見かけない日はないほど活躍中の石原良純さん。父は作家であり政治家としても活躍した故・石原慎太郎さんだ。叔父は昭和の大スター故・石原裕次郎、兄と弟は政治家、末弟は画家である。日本一有名な「石原家」に生まれ、政治でも芸術でもない道を歩んだ良純さんとはどんな人物なのか。インタビューを申し込んだ矢先、両親の訃報が相次いで飛び込んで──(撮影=大河内禎)

母の人生は「趣味・石原慎太郎」

この春は、60年の人生で一番衝撃的な春だったと思います。父・石原慎太郎が2月1日、母・典子が3月8日に亡くなりました。

父は寝込んでいたわけじゃないけれど、足が不自由になっていたので、自分で歩くのは難しくなっていた。だから友人や親戚に電話するのを、取り次いだりしていたんです。その時に「いい人生だった。面白く楽しい89年だった」って、自らの口で笑いながら語っているのを聞きました。

その言葉通り、89年間、本当に好きなことをやり続けて、思ったことを実現しようと努力した悔いのない人生だったと思う。僕はやっぱり親父は文学者、物書きだと思っています。最後まで車椅子で机に向かっていましたから。文学、政治、それからプライベートでもヨットに乗ったり外国に遊びに行ったり。その最大の理解者であり、協力者だったのが母でした。

84歳で亡くなるのは、女性の平均寿命からすると早い気がするけど、父が亡くなったことで、母にとって最大の興味が失われたんだと思う。母は、「趣味・石原慎太郎」みたいな人でした。小学校の6年生と1年生で知り合って、17歳で結婚して。

父を見送った後、このひと月、ふた月を乗り越えれば、母は5年、10年と生きられると思っていたんです。強い女性ですから。でも、大動脈瘤破裂で突然亡くなってしまいました。前日まで会っていたので、びっくりですよ。

よく「お父さんが呼んだんですね」と言われるけれど、そうじゃないんですね。「母が後を追った」んです。