夢も希望も失って

悔しくて情けなくて堪えられずに地面を叩いて「私、もうハタチだよ!?」と叫んだ。

『母という呪縛 娘という牢獄』(著:齊藤彩/講談社)

母は静かに、愚図る幼子を宥めるように「そうだね。でも、もう、諦めて、勉強しなさい。あかちゃんはそうするしかないの。また逃げてもいいよ。でも、お母さんはまた捜すよ。あかちゃんが合格するまで、ずっと。それでもいいの?」

夢も希望も失い、自分の人生なんてどうでも良くなった。心に図太さと諦観を備え、母の暴言は一晩寝て忘れ、柳に風であるように努めた。一日一日を無為に食い潰すのみ。
  
この一件のあと、「(あかりとは)まったく連絡がとれなくなりました」と教師は証言している。教師が次にあかりと顔を合わせたのは、一二年後、大津地裁の法廷でだった。高校三年から二〇歳にかけて、繰り返し家出を図り、連れ戻されたあかりは、「諦め」の心境に沈むようになっていった。

この年末、あかりは翌年一月に地元の市民ホールで行われる成人式への招待状を受け取った。本来なら、二年前に二八万円で買った黒の総絞りの出番だが、あかりは成人式を欠席し、振袖が日の目を見ることはなかった。
  
欲しくないものではなかったが、恩着せがましさに私は呆れ、勉強に対する意欲向上にはまったく役立たなかった。

当時はセンター試験直前で、ピリピリした空気の自宅に籠もって受験勉強をしていた。母としては、医学部医学科に合格した娘への晴れ着のつもりで――一浪で合格させるつもりで――振袖を買い与えたのに、という私への怨念が募り、一層自宅の空気は張り詰めていた。