決して投げやりだと気付かれないよう細心の注意を払って

あかりは九年もの浪人を経験したが、そのうち四回はセンター試験の自己採点や模擬試験の判定が思わしくなく二次試験の受験そのものを見送っている。

どの大学を受験するか、それとも二次試験の受験自体を見送るか、それを決めるのはいつも母だった。

当時の日常について、あかりはこう書いている。
  
自宅近くのショッピングモールの1階に雑貨店があった。緑を基調としたお洒落な観葉植物やぷくぷくと可愛い多肉植物、デザイン性の高い鉢などがセンス良く並んでいた。

母の日に、私はスーパーで見つけたカーネーションアレンジメントをプレゼントしたのだが、母はその中でもアイビーを気に入り、花が枯れた後は個別に小鉢に植え替え、育てていた。自宅から車で20分ほどのところにホームセンターがあり、数種類の観葉・多肉植物が売られていて、母は少しずつ揃えるようになっていた。

鈍く輝くエアープランツや色鮮やかなサボテン、アンティーク調のテラコッタなど、田舎のホームセンターでは見掛けない品々に母は魅了された。若く清潔感があり、物腰の柔らかい女性店員にも好感を持った。

グリーンに惹かれてゆく母の姿に、私は安堵していた。不毛な受験中心の浪人生活は4年を過ぎていた。束の間でも受験と私から母が目を逸らしてくれる。機嫌が悪くならない。叱責を受けない。

連日のように母は店に通い、数日に一度は植物か鉢を買った。コレクションを並べるための棚を組み立て、NHKの「趣味の園芸」を見たり本を読んだり勉強し始めた。

グリーンにのめり込む母に付き合わされ、私は内心うんざりしていた。母は必ず店に私を連れてゆき、どの植物を買うべきか、どの鉢を合わせるべきか意見を求める。でき上がったコレクションを見せてくれる。私は母の嗜好に寄り添い、具体的に、決して投げやりだと気付かれないよう細心の注意を払ってアドバイスをする。

こんなに高いの、また買うつもり? もう、どっちでもいいじゃん。毎日のようにここに来て、よく飽きないね、私、もう飽きちゃったよ。

※本稿は、『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)の一部を再編集したものです。


母という呪縛 娘という牢獄』(著:齊藤彩/講談社)

母と娘――20代中盤まで、風呂にも一緒に入るほど濃密な関係だった二人の間に、何があったのか。公判を取材しつづけた記者が、拘置所のあかりと面会を重ね、刑務所移送後も膨大な量の往復書簡を交わすことによって紡ぎだす真実の物語。