九回にわたって調査書を高校で受け取り

家出も果たせず、受験の意欲もなく――難関中の難関、医学部受験が成功するはずもない。

浪人生活のはじめの一年間は京都の予備校に通っていたが、その後は自宅での勉強を強いられるようになった。あかりがひそかに思いをつづっていたルーズリーフを母が盗み読み、「真面目に通っているとは思えない!」と激しく怒ったからだ。そこには、「(家を出て)阪大に通いたい」「(予備校の帰りに)京都で映画を見た」とあかりの本音が書かれていた。

とくにつらかったのは、模試や受験会場で一緒になる学生が自分よりずっと年下だということだ。

出願前には出身高校に「調査書」を発行するように依頼し、それを願書につけて提出する必要があるが、母は毎年、あかりに調査書を自ら受け取りに行くように強いた。

母があかりを車に乗せて高校まで行き、あかりが職員室に顔を出して調査書を受け取るのだが、現役の高校生たちのキラキラした姿がまぶしく、あかりには毎回、苦痛で仕方がない行事だった。それを毎年毎年、九回にわたって続けたのだ。