「死後焼却」と書いて密封した手紙の束が抽出しにある。誰も知らない。人と人の縁もその濃淡も、誰にだってある。言わないのが人生と思う。たまたまわたしはかなり荒い人生に出会い、退社あいさつへの返信をはじめ、いただいた手紙を抽出しにしまう一種の収集癖があった。「死後焼却」は別にして、この60年間の来翰のほとんどがのこっていることに感慨がある。

わたしは孤独であったし、誰かにだかれたい気持ちを20代からかくしもっていた。それが手紙の保存に結びついた。一通一通になぐさめられ、わたしは元気になれたと思っている。

92年も生きているいのちは、医師の榊原先生によりわたしに託された。先生は二度の執刀をなさり、70代にならぬ若さで去ってゆかれた。

先生の最期の日、病室へ入る。ほかには誰もいない。

「せんせえ、さわちです」。酸素天幕のなかへ声をかける。先生の左手が天幕の外へ出てき、それをにぎった。そのときは偶然としか思わなかったが、意識混濁のなかで先生は気づかれ、手をのべてくださったのだ。わたしは「いのちは先生がくださったもの」と考える人間になり、いまもがんばっている。

竹内希衣子さんは一年前に急逝され、いまは返事がない。「明日知れず」は、生きている者の宿命と思う。それが、人生なのだ。