仏と我々の距離が近い日本

たとえば平安末の民間の有名な歌に「仏は常にいませども うつつならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたもう」というのがあります(『梁塵秘抄』)。

仏は実在されるのだが、姿を現されぬのが何とも貴くていらっしゃる。みながまだ寝ている明け方に、かすかに夢に現れるのだ、という意味ですね。

これね、中世ヨーロッパではあり得ない歌だと思います。

教会が強大であった中世ヨーロッパでは、神がいるのは当然であり、ものごとの大前提です。だからいつ私たちの前に現れてくださるかな、なんてそもそも話題にのぼらない。

ただひたすら、神の国にいらっしゃる、そのお方の栄光を讃える。

でも日本人は「仏様は実在するのかも」というところから考える。あるいは敬意は持っていても、仏と我々の距離が近いのかな、とも思います。