絶対者の「実在」を信じていたこととは違うんじゃないか

日本は基本的に一神教ではなく、多神教の国です。一人の強烈な神さまはいないけれど、ぼくたちが生活する様々なところに神さまがいらっしゃる。このことが戦国時代の人々の精神に大きな影響を与えていると考えられます。

というのは、当時日本にやって来たキリスト教の宣教師が感嘆しているんです。

日本人ほど、道徳心に満ちた人々はいない。盗みを働かない。うそをつかない。誰も見ていなくても、悪事を働くことがない。彼らは「お天道さま」が見ている、という。だから「お天道さま」に恥じない振る舞いをしなければならない、と言う・・・。

そうしたレポートを書いているんです。それで続けて、彼らに真の神での教え、キリストの教えを説けば、素晴らしいキリスト教徒の国が誕生するだろう、と説くのです。

ご存じのように宣教師の思惑は見事に外れるわけですが、戦国時代の日本人が規律正しく、道徳心に溢れていた、というのはウソではないらしい。

日本史を勉強していると、人間を超える存在に敬意を払っていたことも確かだろう、と感じます。でもそれは、何らかの絶対者の「実在」を信じていたこととは違うんじゃないか、とぼくは思うのです。