豊臣秀吉のバテレン追放令

豊臣秀吉は天正15年(1587年)、有名なバテレン追放令を発布しました。このとき秀吉は自らに仕える家臣たちに言うのです。

「三河後風土記之内 大樹寺御難戦之図」の全体図。ドラマでは山田裕貴さん演じる本多忠勝、木村昴さん演じる渡辺半蔵らの姿も(作:月岡芳年)【刀剣ワールド】 touken-world-ukiyoe.jp

「キリスト教への信仰は捨てよ。ただし、心の中を覗くことはできぬ。お前たちが心の中でキリストを崇拝していても、そこにワシは立ち入らん。だが、表向き、信仰をすることは許さぬ」。

この命令を受けて、蒲生氏郷や黒田官兵衛は、キリスト教から距離を置く風を装いました。でも、彼らは心にキリストの教えを保持し続けたのです。

ですが、ひとりだけ、キリスト教を否定することは絶対にできない、と秀吉の命令を拒絶した武将がいました。ご存じ、高山右近です。

そのため彼は播磨国の船上城(後の明石城)6万石を召し上げられました。

彼はキリストの実在を固く信じていた。表向き、とかそういう小細工は神はお見通しだ。だから神の意に沿うためには身分も領土も捨てねばならない。そういう道を選択したのでしょう。